朝の法話 第14回

 十一月になりました。学校の前の坂道を歩いているだけで頬と指先が冷たくなりましたね。吐いた白い息の向こうには紅葉したアルプスも見えることでしょう。

 さて、前回の放送で、「如来よりたまわりたる信心」というお話をしましたので、今朝もこの「信心」についてお話します。

私の「信」は所詮自分の都合でありますので、環境や自分の都合でコロコロ変わります。友達のことを心の底から信じていると思っていても状況次第では不信に変わることもあるでしょう。逆に、私は「占いなど信じない」と言っていても、テレビの占いで「今日のあなたの運勢は最高、いいこと尽くし」などと言われると、つい信じたくなる私がいるのです。そのように私心の「信」は「信心」とはいえないのです。「信心」とは、仏さまの真理を知らせてくれる心と、自分の心とがめぐり合うことなのです。

仏さまの心にめぐりあうと何が起こるのか。仏さまの広い大きな心、真理に目覚めさせる心にふれると、そのことを通して、自分がじつに自分中心の狭い心だという事を実感させられます。自分の都合で物事をとらえ、自分の思いに叶うように、全てが動いて欲しいと思って、そうなれば良いが、そうならないと、勝手に腹を立てたり、落ち込んでしまう、そういう自分であると、自分の現実が見えてくるのです。そして、そんな自分勝手な私が、じつはいつも周りに受け入れてもらって、今日こうして生活できている事実に気づかされます。そうやって教え育てられていた私だという事が分かります。

自分の都合にあっていようが、あわなかろうが、現実を通して私は育ててもらっている。そのことに目覚めれば、私の人生がどんな人生であっても、素晴らしいと実感できるのではないでしょうか。

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