朝の法話  第十回

朝晩はもう寒いくらいで、あの夏の日の暑さが懐かしいほどです。体調管理には十分気をつけましょう。

さて、今日は「お盆」についてお話しします。夏休みに、みなさんの中にもお寺やお墓にお参りに行った人がいるかと思います。一般的には、お盆は先祖の霊がこの世に帰ってくる日で、お墓参りをしたりお供えをしたりするのは、先祖の霊を供養するためだとされています。

「お盆」は正式には「盂蘭盆(うらぼん)」といって、インドの古い言葉の「ウランバナ」を漢字に当てはめたものです。この言葉は「倒懸(とうけん)」、つまり「逆さまに吊される」という意味です。

これは、私たちの生き方を表わす言葉です。「逆さまに吊される」というのは、仏さまからすれば、私たちがまるで逆さまな生き方をしているということを表わします。本当の願いに背いて、いつも自分の都合ばかりで物事を見ている、そのような生き方のことをいうのです。

たとえば「雨」は、「恵みの雨」とも言われるように、生きるために必要不可欠なものです。けれども、旅行に行くときや外で遊ぶときなど、雨が降らないでほしいと願うこともあります。このように私たちは、雨を喜んだり迷惑だと思ったりしますが、本当は、雨は私たちを喜ばせようとも困らせようともしていません。大きな自然の流れに促されて雨は降っているのであって、それを、そのときの都合で「良い」、「悪い」と価値を決めているのが私たち人間の姿なのです。真実に背いて、いつも自分の都合ばかりで生きる姿を「倒懸」というのです。

「お盆」にお墓の前で手を合わせるのは、先祖の供養のためにではなくて、仏さまの世界のほうからの、「逆さまに生きている自分に気づいてほしい」という願いを聞くためなのだと考えてみましょう。こちらが手を合わせて拝んでいるようで、本当は仏さまのほうから拝まれているのです。

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