朝の法話  第十二回

変わりやすい空の様子に、秋の訪れを感じます。

さて、今日は「お彼岸(ひがん)」の話をします。お彼岸は、三月の春分の日を真ん中にして一週間、九月の秋分の日を真ん中にして一週間、一年に春と秋の二回あります。春分の日と秋分の日は、太陽がちょうど真東からのぼって真西に沈みます。仏教では仏さまのいる浄土が西の方角にあるとされ、太陽が真西に沈むお彼岸の日に、浄土に思いを至らせ、あらためて仏さまの教えを聞いていこうという風習が生まれました。

「彼岸」とは「彼の岸」という意味で、「浄土」を表す言葉です。そして浄土の反対を表すのが「娑婆(しゃば)」という言葉で、これは私たちの生きている世界のことをいいます。さらに、「娑婆」は別の言葉で「堪忍土(かんにんど)」ともいいます。「堪忍」とは、耐え忍ぶという意味で、この私たちの世界が、さまざまな苦しみに耐え忍ばなければならない世界であることを表現しています。

なぜ堪え忍ばなければならないかというと、親鸞聖人が「いずれの行もおよびがたき身」とおっしゃったように、私たちは自分の人生を自分の思いどおりにすることができないからです。人間関係を考えてみても、それぞれ違う思いを持った人間同士ですので、自分の思いが通らずぶつかることもあり、また、好きな人だけでなく、苦手な人とも関わり合っていかなければならないのが現実です。

しかし、立ち止まってよく考えてみると、自分一人だけが思いどおりにならないのではなくて、どんな人も同じように、思いどおりにならない自分を精一杯生きているのです。そのことに気付けば、自己主張ばかりしていた自分の姿に目覚め、「お互いさま」といって、どんな人とも手の取り合える世界が開けてくるのではないでしょうか。

お彼岸をきっかけとして、自分の姿に目を向けてみましょう。

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