朝の法話  第十九回

今年も残すところ半月になりました。みなさんの中には、年末年始の計画に華やいだ気持ちの人もいれば、受験勉強真っ只中で頭を抱えている人もいたりするでしょう。

ところで、皆さんにとって今年はどんな年だったでしょうか。

いい年だったと思う人も、そうではなかったと思う人も、実に様々な「であい」があったでしょうね。

仏説無量寿経という経典があります。経典とは釈尊の言葉を弟子が記録したものになりますが、その中に、

「如来の智慧海は、深広(じんこう)にして涯底(がいてい)なし」という言葉があります。仏の智慧は深く広く、量りしれないという意味です。

「であい」を、仏の広く大きな心でみると、全ての「であい」に意味があり、私たちに何かを教えてくれるといいます。

しかし、私の都合中心の狭い心でみると、自分にとってよかったら「いいであい」、そうでなければ、「わるいであい」と決めつけます。

だから自分にとって「わるいであい」の原因を、自分ではなく、相手や、自分をとりまく環境のせいにするのです。

相手は思うようにいかない、と分かっているのに、どうしても相手を思うようにしたいという心が私たちにはあります。

そんな私たちに釈尊は呼びかけます。「如来の智慧海は、深広にして涯底なし」と。如来の智慧とは、私たちが、どこまでも自分の都合でしか生きられないという問題をみつめています。

その深くて広い智慧にであうと、「都合が悪い相手にであった」のではなく、「相手を思うようにしたいという心から離れられない私にであった」ということになるのです。

私たちはこれからも、たくさんの人や事柄と「であって」いくでしょう。
釈尊の言葉は、その様々な「であい」を通して、自分自身の狭い心を問うことが大切だと教えてくれているのかもしれません。