朝の法話  第四回

今日から六月に入りました。一年がもう半分を過ぎようとしていると思うと、時の流れの早さを感じます。夏服にも変わりましたので、また新しい気持ちで日々を過ごしていきたいものです。

さて、先日から生徒玄関前の掲示板に、仏教の言葉を掲示することになりました。帰り際に足を止めて言葉を眺めている人を見かけるようになりましたが、慌ただしく過ぎる日々の中で、立ち止まって考えるきっかけがあることの大切さを感じさせられます。

現在は、金子大榮先生の言葉が掲示されていますが、同じくその先生の、次のような言葉があります。

「一日の空過は、やがて一生の空過となる。」

「空過」とは、空しく過ぎるという意味です。一日を無駄に過ごすことが、やがて一生を無駄に過ごすことに繋がるという言葉です。

アニメのアンパンマンの主題歌の中にも「なんのために生まれて、なにをして生きるのか」が分からないのはイヤだという歌詞がありますが、自分の人生を振り返って「無駄だった」と思えてしまう人生ほど悲しいものはないはずです。

たった一度しかない人生を空しく過ごさないために、親鸞聖人は「本願力にあいぬれば、空しく過ぐる人ぞなき」とおっしゃっています。本願とは、私たちのほんとうの願いに気づかせてくれるはたらきのことを言います。ほんとうの願いに気づかされ、自分が今ほんとうにすべきことが何かがはっきりすれば、無駄だと言えるものなどひとつもない、中身のある人生になっていくのだとおっしゃっています。

一日一日の積み重ねが、その人の一生となっていきます。私たちは未来のことばかりが気になって今が疎かになることがありますが、一日一日のすべきことを大事にして生きることこそ、一生を大事に生きることになるのだと、これらの言葉から教えられます。