朝の法話  第十三回

十一月になりました。秋も深まり木々の紅葉が錦の織物の如く、色鮮やかな季節になりましたね。

さて、来週は、報恩講があります。報恩講は親鸞聖人の命日を機縁として、自分がいただいている「いのち」について考える日です。

科学的に「いのち」の誕生について知ると、たしかに驚くべき生命のドラマに違いありませんが、大切なことは、生命の誕生は、限りない「いのち」のはたらきの中にあることを知ることです。

しかし、毎日の生活の中でそのようなことに思いを馳せることは多くありません。ともすれば、いつの間にか生きていることが当然のこととして過ごし、自分のことを大切にできない時もあります。

たとえば、物事がうまく行かない時などは、恩を感ずる心はどこかに消え失せてしまい、周りに対して腹を立てることの方が多いものです。思い通りにならない時には、どうしてこんな目にあわなければならないのかと他を恨んだり、自分の境遇を悲しんだりしてしまいます。

仏教の授業の最初に称える「三帰依文」の最初に「人身受け難し、今すでに受く」と、人間として生を受けたことを深い感動を持って見いだされたお言葉があります。この言葉に出会う時、自分は今まで心の底から「人身受け難し」と自分自身を受け止め、そのことを心からありがたいと思ったことが一度だってあっただろうかと思うことがあります。

親鸞聖人はよく「仏恩」とか「如来の恩徳」という言葉を使われます。その聖人のお作りになった「恩徳讃」を私たちは歌いますが、その歌には「仏恩に出会っていますか?」「人身受け難しと喜べますか?」と語りかけてくださる親鸞聖人の心を感じます。

伊那西高校での生活は、親鸞聖人の「人生を空しく過ごすことの無いよう」という願いがかけられています。報恩講を機会に、自分の生き方の再確認をして欲しいものです。

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