朝の法話  第十六回

十二月となり、今年も残すところあと一ヶ月を切りました。

期末テストが終わって、自分の取り組みを振り返ってみてどうだったでしょうか。「あの時、もっと勉強できるはずだった」と、後悔の気持ちが残っている人もいるかもしれません。「あの時間に勉強できたはずだったのに、ついテレビを見たりマンガを読んだりしてしまった」ということもあったかもしれません。

しかし、「してしまった」とは言うものの、そういうことを選んだのは自分のはずです。その時「テレビが見たい」「マンガを読みたい」という思いがあったから、自分はそれを選択したのです。そうやって自分の思いを満たして満足したはずですが、どうしてそれが今になって後悔に変わるのでしょうか。

後悔するということは、満たしたと思ったその自分の思いが、実は自分の「本当の願い」ではなかったということです。

読書旬間で読んだ芥川龍之介の本に『杜子春』というお話があります。主人公の杜子春は大金持ちにしてもらったり、仙人を目指したりするのですが、最後には平凡でも人間が人間らしく生きることの幸せを見つけるのでした。この話は、お金を手に入れることや何でも思い通りなることが「本当の願い」だと勘違いしている私たちに、そうではないと教えてくれるものだと思います。

親鸞聖人は「本願」という言葉を大切にされました。「本願」とは、字のとおり私たちの「本当の願い」のことです。私たちの「本当の願い」をあきらかにする道が浄土真宗なのです。

「本当の願い」をあきらかにするために、親鸞聖人は「聞く」ということが大事だとされました。「聞く」とは、自分を惑わせるさまざまな雑音の中から、人間としての「本当の願い」を聞くということです。小さな音を聞き逃さないためには、まず立ち止まり、心と姿を整えて、耳を傾けなければなりません。

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