朝の法話  第十九回

新しい年を迎えることができました。二〇十八年が終わり、年が明け、皆さんもそれぞれのお正月を迎えたことと思います。一日が過ぎるということだけで考えると、十二月三十一日が一月一日になった、日付が変わっただけともいえます。しかし、このような時間の節目に特別な意味を与えることで、私たちは、それまでの自分を反省し、古い自分を脱ぎ捨てて、新しい自分となる「けじめ」をしているのでしょう。申し遅れました、今年の法話は新生徒会役員の桑澤菜生と小島和がお送りします。皆さん一年間、どうぞ宜しくお願いします。

 

さて、三学期が始まりました。三年生は新しい環境、一・二年生は新しい年度に向けて、それぞれの新たな目標が見え始めるときです。

年度を登山にたとえるならば、今学期は下山といったところでしょうか。

インドの龍樹という高僧が、著した『十住毘婆娑論』に、

「菩提(ぼだい)を求むるがためゆえに、常に、まさに、勤(つと)めて精進して、懈怠(けたい)の心を生ぜざれ。」という言葉があります。これは、「生きることの意味を求めるためには、常に精進して、怠け心を起こすことのないようにしなければならない」という意味です。

人間は、ある目標が達成されると、それまでの緊張をゆるめて、休まねばなりません。その意味では、怠け心も、意味のあるものであるといえます。しかし、目標が達成されたからといって、その時点で、全てが終わりになるわけではないのです。

山登りも、「頂上を極めたからそれで終わり」ではなく、登るだけでなく、無事に事故を起こさず、下山するのも大事な仕事なのです。そういった場では、わずかな怠け心が、死につながることさえあるのです。

同じように、冬休みという一年の峠道にたたずみ小休止を終えた今、充実した下山、実りの多い下山にするため、三学期をどのように生活していけばいいのかが私たちに問われているのでしょう。

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