朝の法話   第二回

今週は、伊那西高校が大事にしている宗教行事のひとつである釈尊降誕会が行われました。釈尊降誕会は、仏教を説き開かれたお釈迦様の誕生をお祝いするとともに、お釈迦様の誕生という出来事を通して、私たちの「いのち」の姿を見つめる大切な行事です。

仏教の授業でも触れたと思いますが、お釈迦様の伝承として、お生まれになった時に、自らの足で七歩歩き、右手で天を、左手で地を指さし、「天上天下唯我独尊」と言われた、という話が残っています。

「天上天下唯我独尊」とは、「天にも地にも、唯我ひとり尊い」という意味です。つまり、どのような境遇にあっても、何かを付け足さなくても、いのちそのものはそのままで尊い、ということを教える言葉なのです。

このような教えを、竹部勝之進という方は、次のような詩にして表現しました。

「赤い実のなる木に 赤い実がなった 木の満足」

 この言葉と、自分の生き方を重ね合わせて考えてみると、どうでしょうか。私たちはそれぞれ自分の色を持っているはずですが、「もっと違う色になりたい」「あの子の色がうらやましい」といつも考えてはないでしょうか。赤い実のなる木に、金色の実をつけようとしているのが、私たち人間の生き方です。

 桜の木が、秋にきれいに色づくイチョウの木をうらやましがることはありません。またイチョウも、桜の木をうらやましがることはありません。桜は桜として、イチョウはイチョウとして、自分自身の色を精一杯輝かせるところに、自然のすばらしさがあります。

私たち人間も、それは同じはずです。「私が私でよかった」と自分に納得して生きていく道がすでにあることを、仏教では教えてくれているのです。

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。