朝の法話   第七回

先週、文化祭とテストが終わり、ひと段落つきました。気が付けば一学期も残りわずかです。しっかりまとめをして、夏休みを有意義に過ごしたいものですね。

さて、今月の校内伝道掲示板は『阿弥陀経』の言葉です。

青色の華は青い光、黄色の華は黄色い光が輝いていると、極楽浄土に咲く華はみんな異なった色をしており、その色から放たれる光は全てが素晴らしいと説いています。この華というのは、私たちのことを表し、光を「個性」や「らしさ」として表しています。

今日の社会でも、よく「個性の尊重」や「私らしさを大切に」という言葉が聞かれます。しかし、私たちは往々にこの言葉をはき違えて理解していることが多いのです。

何故ならば「個性の尊重」というのが、「自分は自分だからこれでいいのだ」という単なる自己満足に陥りかねないからです。

言うまでもなく、私たちはどこまでも自分の都合でしか生きられません。だから「個性」や「らしさ」という「ありのままの自分」が、「わがままな自分」になってしまうことがあるのです。

皆さん、一度考えてみてください。今の私が有るのはどういうことでしょうか。生まれてから今日まで直接、間接問わず、私を育ててくれた人や、であった人はどれほどいたでしょうか。また、今日まで口にしたもの、身に着けたもの、使ったものも数えきれほどあるでしょう。そのようなことを思い返してみると、私たちは周囲との関係性の上に成り立っていることに気づかされます。つまり、「個性」や「らしさ」も、私に関わった全ての影響を受けてできあがったのです。

自分の都合でしか生きられない私たちは、そのことを忘れてしまいがちですが、全てのものが私を育て、全てものが私を支えてくれる事実に気づかされたとき、はじめて「個性の尊重」や「私らしさ」を大切にできるのではないでしょうか。

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