朝の法話   第十回

秋らしい風を感じるようになりました。また次の季節に移ろうとしています。

九月には、秋のお彼岸があります。秋分の日を真ん中にして一週間を秋のお彼岸としています。仏教で大事にしている行事のひとつです。

「彼の岸」と書いて「彼岸」です。それは、私たちの迷いの世界を離れた向こう側の岸、つまり「浄土」を表わしています。

お彼岸は春分の日と秋分の日に行われます。その日は、昼と夜の長さが同じになり、太陽が真西の方向に沈みます。仏教で浄土の世界はここから西の方角にあるとされていますので、この日をお彼岸として、浄土の世界に思いを馳せる日としているのです。

浄土という世界は、私たちの死後の世界ではありません。二年生が授業で使っている本には「浄土とは、私たちが互いに、それぞれの違いを認め合い、ともにたすけあって生きることのできる浄らかな世界」とあります。

それに対し、仏教では私たちの世界を「穢土」や「娑婆」と表現しています。それは「勝ち負けや損得、思い通りになるかどうかということにのみ心が振り回される世界」であり、「どこまでも自分を中心として、互いに傷つけあうような世界」なのです。

なぜそのような世界になってしまうのかというと、勝つこと、思い通りになることが良いことであり、負けること、思い通りにならないことは良くないことだという思いに、自分の心が縛られているからです。しかし、そのような私の小さな思いを超えて、あらゆるものと関わり支えられながら生きているのが私たちです。そのようないのちの真実に触れるとき、自分も周りも大事にできる「浄土」の生き方がひらかれてくるのです。