朝の法話 第7回

七月も中盤にさしかかりましたが、梅雨明けはまだ先のようです。学校生活では一学期も残り一週間となりますので、夏休みを有意義に過ごせるように準備したいものですね。

さて、『歎異抄』の序に「故親鸞聖人御物語の趣、耳の底に留まるところ、いささかこれをしるす。」という言葉があります。これは門弟であった『歎異抄』の著者が、執筆にあたっての動機として書いた言葉です。「耳の底に」という表現はあまり聞きませんが、著者が親鸞から聞いたことが未だに耳の底に深く残っているというニュアンスです。当時の門弟にとって「聞く」とは親鸞聖人が語ることを聞くところからはじまり、人と人が面と向かって「会話」することが重要だったのです。

現代は便利な世の中になり、以前は苦労しないとできなかったことが、簡単にでき、快適かつ、楽に過せるようになりました。とりわけ、通信技術の発達はめざましく、携帯電話やメールの普及は私たちの生活スタイルを変化させました。その一つは「会話」です。言葉のみ、あるいは文字のみのやり取りが増え、一日の中で面と向かって「会話」する時間と、どちらが多いのでしょうか。また、携帯電話一つで時間を潰せたり、用がなくてもついつい見てしまうなんてこともあります。皆さんも街や電車の中で、ほとんどの人が顔を下に向けて自分の世界に入っている姿を見たことがあるでしょう。

そのように、自分の世界に入り込んでしまうので、周りや、周りからの声が聞けなくなったりするのも事実です。私たちは自分のことを自分が一番よく知っているようですが、はたして本当にそうでしょうか。時には、自分以外の人や、教えなどから本当の私が見えてくることもあります。

便利な世の中になったからこそ、「会話」をすることと、人の話を「聞く」ことが大事かもしれませんね。