朝の法話   第十五回

十一月になり、朝晩肌寒い日が続きます。秋も深まり、アルプスも紅葉を始めました。

 さて、来週は報恩講があります。仏教の授業でも聞いているとは思いますが、報恩講は、親鸞聖人の命日をご縁として、念仏の教えに触れる集いです。教えを聞くことを通して、自分自身を振り返ることができればいいですね。

ところで、命日とは、亡くなった人を偲ぶことを通して、私がいただいている「いのち」について考える日を意味します。

 皆さんが研修に行かれた東本願寺には、

 「今、いのちがあなたを生きている」という標語がありました。

 私がいのちを生きているのではなく、いのちが私を生きているというこの言葉から、私自身の生きる姿勢が問われています。

 当たり前のことですが、私たちはこの世に生まれてきたとき、自身の姿、形だけなく、時代や国、親や環境など、すべてを受け入れて生まれてきます。

 ところが、国や親や環境など与えられた全てを受け入れてきたはずなのに、いつのまにか私の都合に合わないものは受け入れられなくなります。ここに「いのちによって生かされている私」から、「私のいのち」に逆転されていくのです。その結果、すべてのことが「私」中心にしか考えられなくなります。

 「今、いのちがあなたを生きている」という言葉は、いのちの犠牲と支えのうえに私が存在していることを教えてくれます。

報恩講の恩には、「私のために為されたことを知る」という意味があります。来週の集いが、親鸞聖人を偲びつつ、教えを通して、私に与えられた人生を本当に大切にしているかどうか、今一度考える機会になるといいですね。 

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