朝の法話   第十九回

新しい年を迎えることができました。

年が明け、皆さんもそれぞれのお正月を迎えたことと思います。一日が過ぎるということだけで考えると、十二月三十一日が一月一日になった、日付が変わっただけともいえます。しかし、このような時間の節目に特別な意味を与えることで、私たちは、それまでの自分を反省し、古い自分を脱ぎ捨てて、新しい自分となる「けじめ」をしているのでしょう。

さて、『サンガ』という新聞にこんな言葉が紹介されていました。

「お前はお前で丁度よい 顔も身体も名前も性も

お前にそれは丁度よい

歩いたお前の人生は 悪くなければ良くもない

お前にとって丁度よい

地獄へ行こうと 極楽へ行こうと 行ったところが丁度よい

自惚れる要もなく 卑下する要もない 上もなければ下もない

これで良かったと戴けた時、憶年の信が生まれます

南無阿弥陀仏」

私たちは、誰からも教えられた訳ではありませんが、ふと気が付くと、周りの人と比べ劣等感をもったり、自分の思いに固執し、自分を正当化したりすることがあります。どこまでも自分の思い通りにしたい生き方から離れられない私たちは、この言葉に連呼される「丁度よい」から反した、全く丁度よくなっていない自分に気づかされます。

私たちにとって思い通りにならないことは辛く悲しいことです。しかし、この言葉から、思い通りにならない事実を通して、人生を我がものとすることで、迷い苦しんでいることに目覚めなさいという、仏の呼びかけが聞こえてくるような気がします。